60年ぶりの再会【1】金沢一中55期喜寿の会(by 片瀬貴文さん)
2006年9月21日
われわれ金沢一中55期生は、粟津温泉「法師」で、喜寿の会を開いた。
集まったのは、46人である。
三年前辰口温泉「まつざき」で卒業55年会をやったとき、集まったのは30人台だったから、今回は増えたことになる。
加齢とともに減るほうが自然と思われるが、逆に増加したのだから良しとしたい。
しかし一方では、死亡者数85名と報告された。
3人に1人、鬼籍に入ったことになる。
三年前の死亡者数はほぼ4人に1人だったから、確実に生存率は減っている。
われわれが昭和18年に入学したときは、220名だった。
学校の定員は4クラス200名だが、途中進学による減少を考慮して、20名多く採用したのだろう。
事実入学したときの最上級生5年生は、3クラスしかなかった。
1年生と2年生から陸軍幼年学校、3年生から海軍士官学校予科、4年生と5年生から高等学校、陸軍士官学校、海軍兵学校と、毎年中学校を出てゆく人が少なくなかった。
生存者名簿にある数は179名だから、死亡者数を加えれば、264名となる。
入学時220人からの増加分は、途中で転入した人数である。
大東亜戦争の末期から、戦後にかけて、大都会からの疎開者や大陸からの引揚者が多く転入した。
われわれの中学生時代は、かように波乱の時代だった。
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