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山中温泉とは? - 温泉に行こう! 温泉宿.biz

山中温泉(やまなかおんせん)は、石川県加賀市山中温泉(旧江沼郡山中町、旧国加賀国)にある温泉及び同温泉のある加賀市の地名である。
大聖寺川の渓谷沿いなどに旅館が立ち並ぶ。
:JR北陸本線、加賀温泉駅からバスで20分、金沢駅より北陸鉄道の特急バスも山代温泉経由で山中温泉まで走っている。
:かつては北陸鉄道加南線が粟津駅 (石川県) 粟津駅・動橋駅・大聖寺駅から通じていたが、1971年に廃止された。
自動車
:北陸自動車道加賀インターチェンジ 加賀ICから約20分、福井北インターチェンジ 福井北IC、丸岡インターチェンジ 丸岡ICから国道364号経由で約25分。
:金津インターチェンジ 金津ICからは狭い山道を通る必要があるため、多少時間がかかる。

山中温泉の詳細

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加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼

〒922-0127 石川県加賀市山中温泉下谷町ニー340

加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼
↑いしかわインテリアデザイン賞受賞した吹き抜けのロビー

美白保湿、保温効果にすぐれた美人の湯、大露天おわんの湯赤湯黒湯

全客室より四季折々の美しい山なみが眺望。名勝こおろぎ橋まで徒歩5分、鶴仙渓があり散策に最適。山中漆器をイメージした直径3.6mの大露天おわんの湯赤湯黒湯、昼食処「花鈴」の伝承料理も大変好評です。

加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼

加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼画像1 加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼画像2 加賀 山中温泉 微笑みのお宿 すゞや今日楼画像3

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山中温泉旅行記 - 温泉に行こう! 温泉宿.biz

山中温泉・金沢1泊2日旅行(金沢編)(by cotaroさん)

山中温泉
旅行のパンフレットで雪の兼六園を見て決めたこの旅行。
友人の1人が風邪で涙の当日キャンセル。
さらに、暖冬で雪がありません。。。
わざわざライトアップにあわせて行ったのに…。
なんとも珍しい(地元のおばあちゃんが「こんなに雪が降らないのは金沢にお嫁に来てから初めてよ」とおっしゃっていた。。。)雪のない2月の兼六園、雪吊りロープのライトアップを目にすることに。。。

【旅行時期】2007/02/10~2007/02/11
【エリア】金沢市内
【テーマ】
【投稿者】cotaro

山中温泉・金沢1泊2日旅行(山中温泉編)(by cotaroさん)

山中温泉
職場の女の子4人で申し込んだ温泉&かに食べ行こう旅行。
ところが、1人が風邪で熱を出し、当日キャンセル。

一応、前日に旅行会社に問い合わせして、予約していた特急が出る前ならば50%返金がしてもらえることを確認していたので、まずは旅行会社に電話をし、特急券は大阪駅のみどりの窓口でキャンセル、旅館で証明を発行してもらい、キャンセル終了。

朝早いのが苦手な子がいて、お昼前出発の特急にしたおかげで無事キャンセルできました。

ところで、大阪駅で待ち合わせたのになぜかわざわざ新大阪に行っちゃた子までいて、焦りました。。。
なんとか無事に出発したのが不思議。。。

【旅行時期】2007/02/10~2007/02/11
【エリア】山中温泉
【テーマ】
【投稿者】cotaro

2008春の北陸旅行(4)永平寺(by 4nobuさん)

山中温泉
昨夜泊まった山中温泉のホテルは、学生時代にお世話になったホテルに再度泊まろうと怪しい記憶から見当を立てたのだがどうやら間違いだった。
同行の友人が大学の文学部教授に推薦してもらったホテルに行ったら学生ではしり込みする立派なホテルで、案の定やんわりと学生さんには無理な値段だからと安いホテルを世話してくれた。その上でせめてと思ったのか、後で匿名の電話で「風呂にひたりに来なさい」といってくれてすばらしい庭園の中央の露天風呂に入れてくれた。社会人になったらちゃんと泊まりに行きたいと思ったが45年も経ってしまった。
今回のホテルはスケールが劣るが しだれ桜の下の風情ある露天風呂に入れたので、まあいいか。

宿を出て一路福井へ。今日の観光は市内名園の養浩館、永平寺と一乗谷朝倉遺跡。郊外の方を優先してまず永平寺に行き福井に戻って一乗谷に行くのが普通だ。数年前に関西の友人との三国で蟹を食べる忘年会に参加し、福井で落ち合う時の時間つぶしに永平寺と朝倉遺跡に行った経験から、今回は永平寺から朝倉遺跡にタクシーでトンネル利用のショートカットで行くことにした。
ところが福井駅前のレンタカーの表示を見ると二人ならレンタカーの方がよほど楽で効率よい事がわかり、切符を返してレンタカーに切り替える。ちなみにこの地方の電鉄とバスは高くて両方廻ると\2000/人ぐらいになる。
永平寺はすでに2回行っているし、(後でちょっとコメントするが)観光的にはどうかなと思うのだがかみさんはまだ行ってないせいだろうが行きたいと言うので仕方なく・・。それより一乗谷の方がすばらしいのだがとぶつぶつ。

永平寺
皆さんよくお知りでしょうから簡単に
約800年前鎌倉時代に高祖道元禅師が中国から曹洞宗を伝えて日本曹洞宗の基礎を作る。はじめの道場は宇治の興聖寺であったが信者の越前の土豪に乞われてその領地に移る。寺号は中国に仏法が伝来した年号「永平」を取った。意味は永久の平和である。
なお4世の蛍山禅師(高祖に対して太祖という)が寄進を受けた能登の総持寺も共に大本山である。総持寺は後に明治31年に焼失したがそれを機会に布教の利便性を考慮して明治40年横浜市鶴見区に移転する。能登の総持寺は総持寺能登祖院として後に再建される。

永平寺の建物は栄西、道元禅師が修行した中国天童山景徳寺を模したといわれ七堂伽藍などが宗時代の様式のままに斜面に立体的に並び回廊で結ばれている。
改めてこの知識で見るとこれまでに訪れた寺院と違う感触なのはそのためかと理解できた。
反面、かなり深い森の中にあるとはいえ、これまで訪れた寺院に比べると自然と調和した美しさに欠けるのは中国様式尊重と修行道場であることにその理由があると見るのは偏見だろうか。

永平寺の歴史を読んだ感想を付け加えると
1. 今一つ中国禅宗の流れを汲む臨済宗が鎌倉幕府や貴族階級の支持を得たのに対して曹洞宗は政治権力を避けて一般民衆の帰依を受けて地方への布教を目指した。そしてそのための人材養成に重点を置いた。これがいまの永平寺に伝わる座禅修行の原型なのだと思った。
2. 蛍山禅師は男女平等の姿勢を打ち出し、積極的に門下の女性を住職に登用され、尼僧団も結成された。今はどうなっているのだろうか。








【旅行時期】2008/04/11~2008/05/11
【エリア】永平寺・丸岡
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】4nobu

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